挑 / Creative
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コロナ禍の中、自社の休憩所を全国7都市の建築系学生とオンラインで繋がり、設計から実際に建てるという日本初のオンライン産学連携プロジェクト。
このプロジェクトの発端となった大西さんに、プロジェクトに懸けた想いや実際にどのように困難に挑んのか、お話を聞きました。
アーティストリーだからこそできる様々な仕事をしていましたが、「アーティストリー」という名前が表に出ることはほとんどなく、特注家具業界の「下請け構造」に疑問を感じながら業務をこなす日々。 そんな中コロナが流行。アーティストリーにも大きな影響を受けました。
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──コロナ以前から、業界に対して課題を感じていたと聞きました。
はい。私たち特注家具業界は、設計者や施工会社あっての仕事で、誇りを持って取り組んでいました。でも構造上、私たちはあくまで「下請け」の立場。名前が表に出ることは少なく、「アーティストリー」として評価されることも限られていました。
「もっと直接、施主とつながって仕事ができたら」「家具屋としてもっと提案ができるはずだ」「アーティストリーの技術を求めている人はたくさんいる!」そんな思いがずっと心の奥にありました。
──そこに、コロナが直撃したわけですね。
はい、突然新規案件が止まりました。百貨店系の仕事が多い私たちにとって、ロックダウンは衝撃的で、お店に人が来ない厳しい状況で、新店の準備なんて現実的じゃなかった。唯一来たのは、「中国から商品が入ってこないので、代わりに作ってくれませんか」という案件くらいです。
でも、相談が来たとしても、中国製の価格は、僕らが出す価格の「半値の八掛け」、つまり10万円のものを4万円で、というような見積もりばかりだったんです。技術力と対応力を強みとしていた会社も、何もかも無視されているように感じてしまって。
当然、職人としてのプライドを込めた見積もりを出すと、「高い」の一言で却下される。安さが正義のような空気が業界を包み込み、安い見積もりを出す他社ばかりが成約していき、会社全体の雰囲気も重くなりました。「このまま価格競争に飲み込まれてしまうのか」と、皆が不安を抱えていました。
──そんな中で、転機となる出会いがあったと?
偶然なんですけど、私が大好きなサカナクションのボーカル・山口一郎さんのインスタライブに、建築家の谷尻誠さんが出演されていたんです。彼が「社外取締役」というオンラインサロンを立ち上げると話していて、それが心に強く刺さりました。
「コロナで困っている企業を助けたい。異業種の知恵で新しい価値を生み出したい」──その理念に共感して、熱い想いを綴って応募したところ、幸運にも600人以上の中から150人の一期生に選んでもらうことができ、オンラインサロンに入会しました。
──サロンでの経験が、大きな刺激になった?
めちゃくちゃ刺激が多かったです!職種も年齢もバラバラな人たちが集まって、毎日のようにZoomで交流しました。業界もファッション、建築、料理、教育、自動車など本当に幅広くて、自分がいかに狭い世界で仕事をしていたかを実感しました。
中でも特に印象的だったのが、建築学生たちとの出会いです。彼らもコロナで苦境に立たされている中、オンラインに活路を見出すために入会していました。私は今まで、プロダクトやインテリアの学生と接することはあっても、建築を学ぶ学生とは接点がなかったんです。ところが、彼らが使っている3DCADやパース表現、設計への視点は驚きの連続でした。
空間を「街」や「社会」として捉えるスケールの大きさに圧倒されましたし、「この子たちと一緒に何かやれたら、アーティストリーの可能性がもっと広がるかもしれない」と感じるようになりまし、こういった熱い子たちの受け皿になることが中小企業の役割だとも感じました。
この出会いが、後に取り組む「休憩所プロジェクト」へとつながっていきます。コロナ禍という逆境の中で、あのサロンに参加できたことが、本当に大きな転換点だったと思っています。
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コロナ禍で偶然出会ったサロンでの学びが、新たな挑戦への契機へなりました。 不安な状況の中でも、アーティストリーとして何ができるかを模索し、行動を重ねる姿勢そのものに大きな意義があった。 この経験を通じて施主と直接つながり、価値ある家具や空間を生み出す未来への一歩を踏み出したことが、まさに転換期となったのでした。